今年も9月には敬老会が行われました。「敬老」とはいえなんとなくお年寄りが肩身の狭くなるようなご時世ですが、今の時代は紛れもなくお年寄りの皆さんが受け渡してくれたもの。目先にとらわれ疎かにすることなど出きるはずはありません。
さて、今回は当施設のお客様で最高齢の方のことをご紹介させて頂きます。お名前は佐伯操(さえきみさお)様。1903(明治36)年3月28日生れ、今年白寿(99歳)を迎えられました。ご自身にお年を伺うと「自分では96歳だと思っているんだけど。」と3つほど誤魔化しています。
(生れはどちらですか?)
生れた家は北海道室蘭。雑貨屋をしていたよ。あれ八百屋だったかな?あの頃は子だくさんは当たり前、8人兄弟の3番目だったよ。
(当時の室蘭の様子はどんな風でした?)
鉄鋼所と港町かな。あの頃はよかったよ。
(お仕事は?)
あのころ看護婦さんに憧れていてね、高等小学校を卒業してから製鋼所付属病院産婆看護婦養成所って所を受験したんだ。毎年15人しか合格しないんだけど合格してね。それが16歳の時。その後3年間の見習い期間をがあって、19歳で晴れて一人前の看護婦になったんだよ。それからずっと働き通し。
(結婚は?)
20歳の時。姉の家が鉄鋼所をやっててね、そこの若い衆と結婚させられたんだ。でも仕事は続けたよ。昔の男はみんな威張っていたけれど、姉の所の人だったから私には威張れなかったみたい。子供は男3人女3人で6人、それだけ出来たんだから夫婦仲は悪くなかったのかな。
(いつ東京に?)
25歳の頃、姉の鉄鋼所が江東区大島に出てきたんで、主人も一緒に出てきたんだ。だけど戦争の空襲で焼けちゃった。私ん所は大島6丁目だったけれど8丁目に牧場があったんでそこにみんなで逃げて難を逃れたんだ。運が良かったんだね。それから亀戸に移ったん だけれど私が46歳の時、主人は51歳で病気で死んじゃった。その時にはまだ末っ子が小学校前だったからねえ、そりゃ大変だったよ。亀井戸第2小学校の保健室に勤めることが出来て、それから頑張ったね。その頃にはお産は病院でするようにはなっていたけれど1週間もすると退院でしょ。すると近所の人ん所に行って沐浴の仕方やらなんやら教えたり、やってあげたりもしたんだ。もちろんお金なんて取らないよ。
(子供さんは?)
あんな時代なのに今でもみんな元気だよ。長男は鉄鋼所をやってる。家は3階建てで1階が工場で3階に住んでいたんだ。でも結局行ったり来たりが大変でね、それでここ。長男の嫁は末っ子の友達でね、家に遊びに来ていたんだ。いい子だったよ、あの頃は。
(来年の3月には100歳になりますね。)
今の様子じゃあ嫌でもそうなっちゃいそうだね。でも子供たちは何かしてくれるかねえ、一応期待はしているよ。